うつ病 と 自動思考

目次

1 はじめに

ここでは、自分自身の 自動思考 について書いてみたいと思います。

2 ストレスの蓄積 と 身体・気分・思考の変化

2.1 ストレスの初期段階

失敗を重ねたり怒られたり、何かものごとをうまく処理出来なかったりして、それが度重なるとストレスという形になってきます。しかし、中々それをストレスと気付ける人はそうれほど多くありません。
 
この初期の段階のストレスでは、大抵の場合、「自分が悪いのだ」、「自分に原因がある」として更にストレスを増やすきっかけを作ってしまいます。
 
そして、すべてにおいて「良い、悪い」の二つで判断し、その言動として自分が悪いとか人の所為にする行為が増えていくことになります。

2.2 ストレスが蓄積されてきた段階

この段階にくると、「不安」や「怒り」の要素が更に悪化していきます。
私の場合を例に挙げると、うつ病 になる前に以下のような兆候がありました。

2.2.1 身体 

2.2.1.1 寝汗をかく

夜中に目が覚めることが多くなり、背中が汗でびっしょりになることが多くなった。
目が覚める時間は毎晩午前3時30分頃でした。

2.2.1.2 眠れない

寝ようと思っていても何故か頭が冴えており、寝付けない日々が続きました。

2.2.1.3 その他の症状

ストレスの増加と共に腰痛が悪化していきました。
ちょっとしたことでもすぐに汗をかくようになりました。

2.2.2 気分

2.2.2.1 朝が辛い

寝つきが悪く、且つ、夜中に目が覚めるので朝起きるのがとても辛い日々が続きました。

2.2.2.2 感動がなくなっていく

普通の人が感動するような出来事にも反応が無くなっていきました。

2.2.2.3 怒りと悲しみ

毎日機嫌の悪い日ばかりが続きました。怒りを人にぶつけたりするなどの言動が次第に増えていきました。
そして、自分自身を責めることで悲しみが一層増えて、さらに怒りも増えていくという悪循環の繰り返しでした。

2.2.3 思考

2.2.3.1 集中できない

日が経過するごとに集中力が低下していきました。

2.2.3.2 過小評価

自分の能力を過小評価しすぎる。
本来ならば直ぐに出来ることも「出来ない」、「無理」、「意味がない」などと思い込むようになっていきました。

2.2.3.3 判断

判断するのに時間がかかるようになった。
仕事していても判断力が低下し、明らかに以前よりも仕事の効率が落ちていました。

2.2.3.4 意欲がなくなる

仕事や趣味などの目標に対する意欲が薄れていきました。
何をやるにしても意欲がなく、どうでもよくなっていきました。

2.2.3.5 悲観的に考える

朝起きてから夜寝るまでの間で起きている時間はすべて悲観的に物事を考えていました。
当然、毎日の生活も暗く悲観的な状態でした。

2.2.4 人付き合い

人と関わることが億劫になり、人との会話も段々と減っていきました。
 

2.3 自分自身の異常に気付かない

ストレスが蓄積されてから うつ病 と診断されるまでの間には上述したような兆候があったにも関わらず、自分自身で異常を認めたくない、あるいは、異常であることを隠したいという気持ちがあったのだったと思います。明らかに異常を来たしているにも関わらず、自分自身で異常を認めずに自力で解決しようとしたところに病状を悪化させる要因があったのだと思います。
 
自分自身の今の状況を「認める」ことが大事なことです。そして、自分を非難するのではなく、今、起きている問題を明確にすることです。
過去を振り返っても何一つ解決しません。犯人探しをしても解決はしないのです。問題を明確にすることにより、自分自身が何をすべきかを現実としっかり向き合うことが大切なことではないかと思います。
 

2.4 できないことを受け入れる勇気

人間は万能ではないのです。出来ることもあれば出来ないこともあります。寧ろ出来ないことの方が多いのです。
すべてを自分で取り組む必要なないのです。出来ることは自分が行えば良く、出来ないことは周囲の人の力を借りて解決することも大事なことです。
また、一度に多くのことに取り組むのではなく、一つずつ取り組むことが大事なことです。

3 ネガティブな思考の癖

ストレスの蓄積と共に思考が変化します。
本来はなんでもないことが、ストレスの蓄積と共にネガティブな思考に拍車がかり、意欲が無くなっていくのが うつ病 です。そして、現状を認められない自分に悲観的になっていきます。
 
病前の状態とストレスが蓄積された状態で何が違うのか?
或いは、元々のパーソナリティの中に上述したような要素が含まれているのか?
 
このことを確かめるために私は寛解に達した際に以下のことを確かめてみました。

3.1 強い感情と思考

人と話しをしているときに強く激しい感情が現れることがあります。この強く激しい感情は何なのか?
その時にどんな事を頭の中にイメージしたのかを一つずつ確認するようにしました。
 
一つの例として、相手が自分のことを悪く言った場合、すぐさま激高して反論するのはどういうことかを自分自身で確認するようにしました。
その時の自分の頭の中にあるキーワードをまとめると以下のようになりました。
 
<キーワード>
反論、認めない、腹立たしい、根拠、理屈、自分が正しい
 
このようなキーワードから具体的に自信の頭の中にある規則(ルール)を導くと、私の思考ルールには以下のようなルールがあることが解りました。
 
 ・「理屈に合わない(根拠がない)ことに対する意見は認めない」
 ・「人に意見を言うときは論理的な思考の元に意見を述べること」
 
これが私の自動思考の中にありました。つまり、これまで私は瞬間的にこのルールに則って行動してきました。つまり、私のルールに合致しない意見は聴くことができず、相手の状況や考え方を確認せずに反論ばかりしていました。そこで相手が理解して納得すればそれで収まりますが、そうでない場合は相手との関係も歪んできます。そのこと自体を意識的にストレスと感じていたわけでもないのですが、関係悪化したのは「相手が悪い」と開き直っていました。
 

3.2 自動思考のルールは何が元になっているのか

3.2.1 生い立ち

これを考える前に私自身の生い立ちが非常に重要になってきます。育てられた環境や躾がどのようなものだったのかを自分自身振り返ってみると、以下のようなことが解ってきました。

3.2.1.1 1歳~5歳 頃

父が33歳、母が23歳の時に結婚し、翌年私が生まれました。父は公務員で母は専業主婦で家庭はちょっと普通の家庭とは異なっていました。父はとても厳格な人で曲がったことが嫌い、理屈に合わないものは排除し常に自分が正しいと信じるような性格の人でした。 そんな家庭なので、例えば、食事をする際も父が帰宅するまではどんなにお腹が空いても食べることが出来ず、父の帰宅を待つのが常でした。家族全員揃って食事するのが当たり前で食事中は会話をしてもいけないというのが正しい食事のマナーだと私自身信じていました。そして、食べる順番なんかも決められていました。それ故、両親の言うことは絶対に守らなければならないという思い込みが強くなっていったのだと思います。
 

3.2.1.2 5歳~12歳 頃

5歳~12歳くらいになると、習い事をするようになりました。それも一つ二つではなく3つも4つも習い事をしなければならず、近所の同じ歳の子供たちと遊んだ経験はありません。ピアノ、習字、そろばん、水泳、剣道・・・など。いくつもの習い事をこなすだけで精一杯の私でした。そんな生活が小学校6年生くらいまで続きました。このくらいの歳頃になっても親の言うことには逆らえず、親の言うことは絶対服従しなければならないと信じていました。

3.2.1.3 12歳~18歳頃

13歳~18歳くらいになってようやく私自身の将来を考えるようになりました。他の子供に比べたら自我の発達がかなり遅く、自我が芽生えて自分の考えを主張しはじめたのもこの頃だったと記憶しています。逆に言えば両親の言うことに対しては従順になるしかなかったのです。この頃になると、当然、父に意見することも増えましたが、意見すれば父親にはものすごく叱られました。
 

3.2.1.4 18歳以降

父が私を認めてくれたのは、私が40歳の頃になってからです。某大手光学機器メーカーに勤務していた頃に管理職になりその時にはじめて父から褒められたことを覚えています。しかし、私は父を許すことができず何年も実家に帰ることが出来ない日々が続きました。
 

3.2.2 ルールとか信念

上述したとおり、私の信念の一つに「理屈に合わないことを好まない」ようなものがありますが、このルールが出来上がったのが1歳~5歳くらいの間だと思います。一つ一つの行為に対して意味づけが行われ、無意味なものに対する拒否感のようなものが私の中に生まれたのだと思います。そして、自分が解らない、知らない事は恥かしい事のようにも教えられましたから、知らないことを人に聞くより自分で解決する方法を選ぶようになったのが、5歳~12歳頃でした。こうして、私自身のルールが出来上がってきたわけです。

3.2.3 私の自動思考

前述したとおり、普通の家庭環境とはちょっと違った環境の中で育てられたところに大きな原因があり、私自身、人をすぐに信用することができない用心深い性格になってしまい、何かするにしても疑うことが先にあり、それが理に適っているかどうかを考え判断するようなルールが出来上がってしまったものですから、何かあるとそのような自動思考が働く訳です。
 
これはものすごく疲れます。自分が理解、納得するためには結局自分で試すこともありますから、自分自身を疑うということにもなるわけです。これが何十年も続いてきたことがそもそも異常なことで、病気にならないのが不思議なくらいです。
 

4 ネガティブ思考からの脱却

これまでの私の人生の中で得た、幼少期の頃の「行い」、「考え方」、「ルール」を見直すことが私自身の治療法です。時間は掛かるかもしれませんが、一つ一つ丁寧に修正していくことで、二度とうつ病にならないようにすることが可能です。

4.1 否定と肯定

これまで何十年も蓄積されてきた自動思考ですから、そう簡単に修正できるものではありませんが、否定したら肯定してみるという行いを繰り返すようにしています。また、否定しても何故、そう考えたのかを文章に書くことによって自分自身の思考の癖が見えてきます。そうやって、一つ一つの認知を修正してを乗り越えていくしか方法はないと思います。

4.2 結果を優先しない

それともう一つ大事なことは、結果を優先しないことです。私の思考プロセスの中にはどうやら結果を優先するプロセスが働いているようです。一つ一つの選択肢を自分の頭の中で結果を処理しているようです。自分の思考にあったものを見える化することも自信の考えが正しいのかどうなのかを客観的に知ることが出来るようになります。
 

4.3 感情を大切にする

理に合わないことも納得できないことも一度は受け入れることが必要だと考えます。それが本当に理に合わないのか、自分の考え方とどこが違うのか、何故、そのように考えるのか、相手の主張を十分に聴くことが必要であり、相手の感情も大切にすることを考えなければならないと気付きました。

4.4 「絶対」というものは無い

私も父の DNA を受け継いでおり、いままでは「絶対に自分は間違っていない」という奇妙な確信がありました。しかし、この病気を患うようになってからは、世の中に絶対など無いということに気付き、その考え方を改めるようにしました。
 
そのヒントになったのが、「般若心経」です。以下に「般若心経」の現代語訳を載せておきます。
 

般若心経(はんにゃしんぎょう)

観音菩薩が、
深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊は空虚であると明らかに見て、
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。
「シャーリプトラよ、
色(肉体)は空虚であることと異ならない。空虚であることは色と異ならない。
色は空っぽである。空っぽであるのは色である。
受(感覚を感じる働き)、想(概念)、行(意志)、識(認識する働き)もまた同様である。
シャーリプトラよ、
すべての現象(一切法)は「空虚」〔ということ〕を特徴とするものであるから、
生じることなく、滅することなく
汚れることなく、汚れがなくなることなく
増えることなく、減ることもない。
ゆえに「空虚」〔ということ〕の中には、
色は無く、受、想、行、識も無い
眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、
色、声、香、味、触、法も無い
眼で見られた世界(眼界)も無く、意識で想われた世界(意識界)も無い
無明も無く、無明の滅尽も無い
"老いと死"も無く、"老いと死"の滅尽も無い
「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い
「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い
「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い
「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い
知ることも無く、得ることも無い
もともと得られるべきものは何も無いからである
菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに
心にこだわりが無い
こだわりが無いゆえに、恐れも無く
転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。
過去、現在、未来(三世)の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに
完全なる悟りを得るのだ。
それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは
偉大なる呪文であり、
偉大なる明智の呪文であり、
超えるものなき呪文であり、
並ぶものなき呪文であり、
すべての苦しみを除く。
〔なぜなら〕真実であり、偽りなきものだからである。
〔さて、〕「智慧の波羅蜜」という呪文を説こう、
すなわち呪文に説いて言う:
"ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー"
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 菩提よ、ささげ物を受け取り給え)
 
出展: 般若心経

 

5 ホームページについて

このホームページは、うつ病の精神治療法を研究するための私自身のためのサイトです。私自身が覚えることが苦手、且つ、忘れっぽい性分なので備忘録として主に以下の内容のものを扱っています。どこにいてもこのホームページを閲覧することができるようにという目的でこのホームページを作りました。
 
 
ホームページの作成には、Emacs 25.1.1 を使い org-mode により HTML を生成しました。Emacs を使った理由として、Mac , Windows , FreeBSD などOSを問わずに編集出来ること、また、日頃の文書作成も Emacs を使っているため慣れ親しんだツールを使うことが何よりも使い易いためでもあります。このホームページは、大学、大学院で学んだ事柄を中心に私自身が日々の研究のために忘れないようにするための私自身の備忘録、或いは雑記帳の様なものですので、記載されている事柄について十分な確認や検証をしたものではありません。
 
 

  • 患者様のための情報提供サイトではありません。
  • 医師、看護師、その他の医療従事者のための情報提供サイトではありません。
  • 研究者、大学教職員、大学院生、学生のための情報提供サイトではありません。

 
 
したがいまして、このサイトは私のためのネットノートなので、読みにくかったり誤りもあるかもしれません。
その際はご指摘いただけると嬉しく思います。
このホームページに掲載している図表、画像、文章に関しての転載、複写は自由ですが、いかなる結果が生じても責任を負えませんことを予めご承知おきください.
 
 
なかなか、まとめが進んでおらずリンクが機能していないページがあったり、書きかけのページがあったりします. 日々、アップデートしております.

[2017-03-06 月] org-mode のバージョンが 8.3.6 から 9.0.5 へバージョンアップしました. 
 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 改変禁止 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
Valid XHTML 1.0 Strict


著者: Satoshi Takemoto Satoshi Takemoto

Created: 2017-03-26 日 18:45

Emacs 25.1.1 (Org mode 9.0.5)

Validate