【日本独特の死生観】仏教伝来以前(神代〜)

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今後このホームページで公開を予定している記事を理解するために幾つかの基本的な事柄について、 
シリーズでルドルフ・シュタイナーの人智学・心智学・霊智学・神秘学など必要な記事を連載していきたいと思う。 
 

2 はじめに

霊的治療・霊的霊術・ヒーリングを語る上で重要なことは、これらの療法に対する考え方やこれらの療法が誕生した背景を知っておく必要がある。 
それは、霊的治療や霊的霊術などに対する誤った理解や考え方により誤解を招くからである。 
 
ヒーリング、霊的治療、霊的霊術が本当に効果のあるものなのかどうなのか、それを検証したり評価するつもりではないが、人の身体や心に接するにあたって、 
霊的治療を行う者として、心身の「自然治癒力・・・」、「心や魂が・・・」、「浄化が・・・」、「祓い」云々 ということを人に伝えようとするならば、最低限、 
日本の死生観(生死観)に対する考え方や理解は必要であると思う。 
 

3 日本の死に対する考え方

仏教伝来以前・仏教伝来後・江戸時代以降 の3つに分けて考えてみたい。 
今回は仏教伝来以前について、次回以降に仏教伝来後と江戸時代以降に分けて掲載する予定である。 
 

3.1 仏教伝来以前

日本に外国文化が伝来される以前、つまり、仏教伝来以前の日本における生死に対する考え方はどのようなものだったのだろうか? 
また、当時の「死」に対する習慣にはどのようなものだったのだろうか? 
 
丸山は『死生観の心理学的考察』の中で以下のように述べている。 
 

日本人に固有の死生観はこれまでの調査研究から推論すると,多くの場合,日本人の生活基盤を 支える価値観や文化, 
及び彼等の宗教的行動やプシケ(心)のあり方を日本民族の歴史を振り返っ て考察しなければ理解できない。 
 
仏教伝来(6世紀)以前の古代神道 は「擬志倭人伝」によれば, 死者の肉体に再び魂を呼び戻 そうとする呪術的な招魂の儀式 を行っていたと記録されている。 
死体が腐敗するまで家の中に安置 し,道に迷ってウロウロしている魂が戻ってくるかもしれないと期待し,最後まで諦めずに魂招の 努力をした。 
もはや, 魂が戻らないと分かると死の汚れを払うための「みそぎ」を行い,死体を埋 葬する。  
このような 死者に対する習慣は極めて原始的かつ楽天的 であり, 悲嘆の感情を時間と共に 次第に弱めて行く という意味で現実的である。 
 
『死生観の心理学的考察』(丸山久美子,2004,聖学院大学論叢.) 

 
この考え方は、「魂がもどってくるかもしれない」という生死に対する考え方は、生も死も連続的な捉え方をしていたのではないかと考えられる。 
それは古事記にもある伊弉冉命の死と伊弉諾命が伊弉冉を黄泉の国まで追っていく生から死への世界、さらに変貌した姿の伊弉冉が伊弉諾を追うところは死の世界から生の世界を描いており、 
生も死も連続的であるかのように見える。 そこで、もう少し仏教伝来以前の死生観について調べてみる。 
 
また、辻本は『人間学研究論集』の中で以下のように述べている。
 

日本人の死生観に対して、魂と死体の関係、及び現世と他界の関係という 二つの重要な点があるように思われる。
 
『人間学研究論集』(辻本臣哉, 2015, 人間学研究論集.)

 
つまり、日本人の死生観(生死観)を考える場合、その拠り所になるのは日本神話にその指針の原形を見出すことができるのであって、それを他に求めてはいけないのである。 
以下に古事記を元に幾つかの論文と共に日本人の死生観に対して、魂と死体の関係、及び現世と他界の関係について調べてみたいと思う。 
 

3.1.1 日本の死生観(生死観)の原点は古事記

『日本神話に見る生と死』(上田賢治,東洋学術研究,通巻115号(27巻2号).)によれば、 
  

生死観、或いは死生観の問題は、組織神学の基本課題である「神」・「人間」そして「存在世界」についての理解が先行して、はじめて正しく全体的に説きうる課題である。 
 
(中略) 
 
日本神話は、我が国固有の民俗信仰である神道にとって、神典としての性格を保持している。それは、神話が文字通り神々についての信仰伝承であるが故に、そこにこの神話を伝承した者達の「存在」理解、その本質と在るべき姿とに認識が、意図的である無いとの如何に関わらず、示されていると考えられるからである。 
 
(中略) 
 
神道の生死観を問う場合、我々は必ず、日本神話にその 指針の原形を見出す努力を要求されている。 
 
上田賢治,『日本神話に見る生と死』, 東洋学術研究, 通巻115号(27巻2号). 

 

3.1.2 古事記より生死の問題を考える

人がどのようにして誕生したのか? 、これを知ることにより人の生や死を知ることができると思う。 
これを知るためには上述した通り、その原点は古事記にあるのではないかと。 
 
古事記の「黄泉国」の中に人間の寿命の期限を明確に定めている。そして、古事記によれば死が最初で生は後ということが解る。 
以下に古事記の「黄泉国」より、生と死に関連する部分のみを列挙した。 
 

3.1.2.1 人の誕生

汝、吾を助けしが如く、葦原の中津国にあらゆるうつしき青人草の、苦しき瀬に落ちて患へ悩む時に助くべし」

 
古事記の中でここではじめて「青人草」が出てくる。「青人草」とは人間のことを意味する。 
 

3.1.2.2

愛しき我がなせの命かくせば、汝の国の人草、一日に千頭絞めり殺さむ 

 
そして、伊弉冉命による呪の言葉。
これにより人間は一日に1000人死ぬと現実界に住む人々の寿命が定められたのである。 
 

3.1.2.3

愛しき我が汝妹の命、汝然せば、吾一日に千五百の産屋たてむ 

 
さらに、今度は、伊弉諾命が、毎日死ぬ人の数よりも多い、1500人の人が生まれることになったのである。 
 
しかし、古事記の中では人そのものの起源は定めていないが、我々人間は、伊弉諾命による霊力によって命を授かり受け、伊弉冉命の霊力により寿命が定められたのである。 
 

3.1.2.4

吾はいなしこめき穢き国に到りてありけり。かれ、吾は御身の禊せむ。 

 

  • 禊とは、宗教的儀礼で海や川の水で洗い清めることとされている。 
  • 禊とは、水の浄化力によって罪・穢・禍など一切の災禍を洗い清めるための呪儀。 

 

3.1.2.5

死を穢れとするのは、外的なものと内的なものがあると思う。 
 

  • 外的な穢れ

人間の血液・糞尿・死体など忌み嫌うもの 
 

  • 内的な穢れ 

「氣枯れ」とする考え方。氣が弱くなる状態や死により氣が無くなった状態を忌み嫌うもの
 

3.1.2.6 浄化

『日本人の他界観』(井上克人, 1998, 日本人の他界観, 実存思想協会)には、以下の記述がある。 
 

古代日本人にとって、穢れを洗い流す禊は極めて重要であった。 禊も浄化儀礼に他ならないが、魂の浄化ということであれば古代ギリシャ神話や古代エジプト、小アジアの神話にも見受けられる。 
だが 日本の場合、死んで新たに蘇るための浄化ではなく、死んで再び蘇った後の浄化である点に特異性がある。 伊弉諾神が禊をしたのは黄泉の国ではなく、無事に黄泉から逃げ帰って、 黄泉と絶縁した後 である。 
 
生き返ることを「よみがえり」と言うが、それは復活や蘇生、再生とは違って、日本の場合は死穢の世界からの帰還であり「黄泉返り」であり、黄泉からの反転であったと著者は指摘する。 
 
井上克人, 1998, 日本人の他界観, 実存思想協会.

 

3.1.3 仏教伝来以前の死の考え方の要点

 

  • 死生観の拠り所は記紀によること 
  • 死体は腐乱したものであり穢いもの 
  • 死体は人が生活を営む場所から離れた場所に埋めていたこと
  • 別世界(黄泉国)は穢れた国であるということ 
  • 現世と死の世界(黄泉国)は強力に絶縁されていること 
  • 「黄泉帰り」は死穢の世界からの帰還であること 
  • 禊は死んで再び蘇った後の浄化であること 
  • 魂と肉体は未分化なままであり、黄泉国は魂だけの世界ではなく肉体をもって存在していたこと 

 

4 参考文献

丸山久美子, 死生観の心理学的考察, 2004,聖学院大学論叢. 
辻本臣哉, 人間学研究論集, 2015, 人間学研究論集. 
上田賢治, 日本神話に見る生と死, 東洋学術研究, 通巻115号(27巻2号). 
井上克人, 『日本人の他界観, 実存思想協会, 1998, 実存思想協会.  
 
竹田恒泰,(2017), 現代語 古事記, 学研プラス. 
次田真幸,(1998), 古事記(上) -全三巻-, 講談社. 
 

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著者: Satoshi Takemoto Satoshi Takemoto

Created: 2018-09-04 Tue 11:09

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