私たち人間は、眼で見て、耳で聞いて、鼻で匂いや香りを感じて、舌で味を感じて、身で痛みや熱い冷たいを感じたり、意で様々なことを知覚したりすることができます。

しかし、これらが 迷いであり、執着の源 なのです。

目で見たものが真実であると言えるでしょうか? 

眼でみたものも眼識によって真実とは違うものを見ているのではないでしょうか?

そもそも、私たちが暮らしているこの地球という現実空間に於いて、見えているものはごく一部であり見えていない、或いは、見ようとしない、更には意識から遠ざけていることによって真実とはかけ離れたところで生活をしているのではないかと言うことです。

多くの人は「概念感覚」以上のことは感覚として認識することがでません。 それ故、霊視感覚・霊聴感覚・霊的合一感覚を本来は持っているのにそれを使っていないのです。

そのため、「概念感覚」までの範囲でしかものを見ることができないのです。つまり、 自分自身で感覚能力を制限 しているのです。

その 制限される原因の多くは 迷いや執着が意識に働いている のです。

この迷いや執着こそが霊性を高めることを邪魔しているのです。

私のこれまでの経験からすると、「生の世界」も「死の世界」も実はすごく近いところにあると思うのです。よく、3次元とか4次元、5次元の話しが出ますが、4次元・5次元が遠い世界のものではなく、これは私たちの感覚によって知ることが出来る世界なのです。

つまり、3次元の世界のことでしか感覚が働かないのであれば3次元のことしか解らないのです。

それ以上の感覚を身に付けることでしか高次の世界を知ることはできないのです

このようなことから、私たちが日常見ている世界は3次元の世界しか見ていない人が圧倒的に多く、高次元の世界を見ることができる人間は少数です。それ故、中々、高次元の世界の話しは伝わりにくいですが、一言で言えば持っている感覚の違いによって見えているものが違うということです。

 

簡単な例を示しましょう。例えば、空を見たときに何が見えているか?このような単純なことでも人によって見えているものが違うのです。単なる「雲」と答える人もいれば、あれは「積乱雲」と答える人もいるでしょう。しかし、トレーニングを受けた高次元を知ることができる人が見たときにはもっと別のものをみているのです。

 

自然界にある 自然そのものとコミュニケーション しているのです。さらに言えば、草木でさえも感情がありコミュニケーションができるのです。こんなことを言うとたいていの人は驚きを隠せない表情を表すが、これが現実であり真実なのです。

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