【日本独特の死生観】仏教伝来以後(飛鳥〜鎌倉時代)
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第2回 :人は死ぬとどうなるのか? 魂とは何かについて述べた。
第3回 :カルマ(業)とは何か?
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【人智学(2)】 病気と治療:病気の本質に眼を向ける
【日本独特の死生観】仏教伝来以前:仏教伝来以前の日本の死に対する考え方の概要
今後このホームページで公開を予定している記事を理解するために幾つかの基本的な事柄について、
シリーズでルドルフ・シュタイナーの人智学・心智学・霊智学・神秘学など必要な記事を連載していきたいと思う。
さらに死生観をはじめ日本特有の生活習慣などが及ぼす影響についても掲載していきたいと思う。
2 はじめに
前回 は、仏教伝来以前の日本独特の死に対するや習慣や考え方について述べた。
今回は、外国文化が伝来され、仏教が及ぼした日本の死に対する考え方や死生観が、どのような影響を及ぼしたのかを、ここに概要として簡単にまとめてみたいと思う。
3 仏教伝来以後
3.1 飛鳥時代〜奈良時代
3.1.1 仏教伝来
- 諸説ありますが、日本書紀によれば仏教伝来は、552年。
- 百済の聖明王の遣いで訪れた使者が、当時の欽明天皇に経典・仏像・仏具などを献上したことが仏教伝来の始まり。
- しかし中々「仏教思想」を受け容れられない状態が続く。
3.1.1.1 仏教の受入
仏教伝来により、日本人は仏教というものに、どのように対応したのだろうか?
これについては、和辻哲郎 『日本精神史研究』の中で明解に書かれているので以下に引用する。
当時の日本人が原始仏教の根本動機に心から共鳴を感じ得なかったことは、言うまでもなく明らかなことである。
現世を止揚して解脱を得ようという要求を持つには、古事記の物語に日本人はあまりにも無邪気であり、朗らかであった。
またあの大乗仏教の大建築の如き哲学思潮を理解し得なかったことも、論証を要しない事実である。
特に鋭い論理力を必要とする「仏」の理念にどうして近づくことが出来たろう。
彼らはただ単純に、神秘なる力の根源としての仏像を礼拝し、彼らの無邪気なる要求ー 現世の幸福ー の充たされんことを祈ったに相違ない。
・・・彼らは仏教を本来の仏教としては理解し得なかった。単に現世の幸福を祈ったに過ぎなかった。
しかし、それにも拘らず、この新来の宗教によって新しい心の興奮が経験され、新しい力、新しい生活内容が与えられたである。
清水徳蔵, 『日中の死生観比較考 ー異文化への日中の対応比較ー』, 1998,
3.1.1.2 仏教興隆
- 聖徳太子摂政後、 594年に「仏教興隆の詔」 が発せられた。
- 聖徳太子と蘇我馬子に詔して、 三宝(仏・法・僧) を興隆させた。
- 仏教を中心に国政の安定を図る。
- その後、推古天皇の時代に「仏教興隆の詔」により 各地で寺院・仏像の建設が始まる。
3.1.1.3 仏教と17条憲法
604年十七条の憲法 をつくり、 人々の守るべき道徳の基準と政治姿勢を示した。 以下に十七条の憲法の原文を示す。
一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失。其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰
十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
十七条の憲法
十七条の憲法を見ると、 「仏教」・「儒教」・「法家」 について書かれた内容であることが解る。
特に、二条は、以下の訳のとおり、仏の教えを説いた条文である。
「二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。
何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。」
このことは、 「仏・法・僧を敬いなさい」・「仏の悟りを説かれた仏の教えを敬いなさい」・「仏の説かれた教えを伝える人を敬いなさい」 という3つの事を定めている。
したがって、 仏法に帰依すること こそが、 心を穏やかにし、恒久平和を求めるためのもの であると。
3.1.1.4 葬儀
これまで 庶民の土葬・風葬 、 一定の位以上の者 は古墳への 埋葬 などが行われていたが、 初めて飛鳥時代に火葬が行われた。 記録(続 日本記)としては玄奘三蔵の弟子の道昭という僧侶や持統天皇が火葬で行われた。
一般的な庶民には火葬は広まらず、 特権階級の間でのみ行われていた。
703 年に第 41 代の 持統天皇 は、 皇族として初めて飛鳥崗で自らの意思により火葬 に付され たが、これは 火葬の奨励策 を朝廷自ら実践したものであり、その後は歴代の天皇、皇族や高級官吏及び
地方豪 族などの間に火葬が普及するに至った。
火葬の歴史
3.1.2 仏教の影響による飛鳥時代〜奈良時代の死生観の変化
辻本(2015)は、仏教伝来以前と仏教伝来後の飛鳥時代以降、日本の死生観が変化したことを結論付けた。
小林真由美(2009)は、仏教が 日本の死生観に深くくいこんだ形で根をはり始めていることを指摘している 。
三浦佑之(2000)は、『日本霊異記』における仏教の影響を肉体と霊魂の分離に求めている。
「閻 羅王の使いの鬼が、召された人から饗応を受け、恩返しをした縁」『日本霊異記』中巻25縁では、 鵜垂の郡の衣女が、他界に行き、自らの肉体が火葬されていたため、山田の郡の衣女の体で蘇生 した。
これは、 まさに肉体と霊魂が分離する存在であると認識されている ことを示している。
『古 事記』では、伊邪那岐神が黄泉の国で見た、伊邪那美神の姿は、蛆虫が這いまわる腐乱死体の姿である。
ここには、 伊邪那美神の魂は、肉体から離脱せずに存在する としか思えない 。この中 巻25縁に対して、出雲路修(1988)は、別の解釈を行っている。
物語の中で、 「魂」という語が 欠如している ことと、主人公が山田の郡の衣女であることから、山田の郡の衣女が、 自分自身の 蘇生を成し遂げた と説く。
したがって、ここには、肉体と霊魂の分離が表されていないと主張する 。
しかしながら、小林真由美(2009)の分析にあるように、他の『日本霊異記』での物語では、 魂が肉体から離れて、死後の世界を訪問 している。
また、 この世に戻るときも自らの肉体が必要 となる。こうした他の物語の構成を考えれば、 出雲路修(1988)の解釈は無理がある ように思 われる。
したがって、三浦佑之(2000)が主張するように、 日本古代では魂と肉体が未分離 だっ たものが、 仏教の影響 によって、 その両者が分離した存在として受け止められるようになった と 考えられる。
(中略)
第一に、 未分化 だった 魂と肉体 が、 仏教の影響により分化 された。
第二に、他界の親近性について変化はないが、 地獄は罪を滅することができる ところとなり、 穢 れの意識は薄らいだ。
最後に、 「黄泉返り」 と異なり、『日本霊異記』の生まれ変わりでは、 業に よって動物等になることが説かれており、仏教の輪廻転生の影響を受けている と考えられる。
辻本臣哉, 人間学研究論集, 2015, 人間学研究論集.
3.1.2.1 死生観の変化に影響を与えたこと
- 仏教伝来以前は、 未分化 だった 魂と肉体 が、 仏教の影響により分化 された。
- 他界の親近性について変化はない
- 地獄は罪を滅することができる ところとなり、 穢 れの意識は薄らいだ。
- 業 に よって、 仏教の輪廻転生 の影響を受けてるという考え方。
- 火葬が行われた。
- 一般的に庶民は土葬・風葬。
- 仏教興隆により各地に寺が建設された。
- 仏像が身近になる。
- 神仏習合が進む。
- 仏教こそが人が生きていく正しい道であること。
3.1.2.2 仏教の影響による死生観の変化
仏教が日本に渡来すると、日本人が持っていた「祟り」の考え方に修正を加えることになった。
仏教には「祟り」の考え方がなく、仏僧は死の穢れや悪霊に触れることを怖れず、むしろ、屍体をねんごろに扱い、死者をねんごろに葬って埋葬し、悪霊を読経で鎮め、
死者の追善供養をした。これは日本人の祖先崇拝の考えと結びついて、人の死や死者への不安を鎮めるのに役立った。
清水徳蔵, 『日中の死生観比較考 ー異文化への日中の対応比較ー』, 1998,
3.2 平安時代
3.2.1 奈良仏教の批判
- 平安初期の仏教は性質が打って変わり、現在の宗派仏教の始まりといえる。
- その日本仏教の基礎を築いたのが、伝教大師・最澄(767~822)。
- 平安仏教は最澄により、奈良仏教の批判を行う。
- 1)顕経であり、理論中心なため仏教を形式化している。
- 2)国家権力と結びついている。
- 3)誰でも成仏できるわけではない。
3.2.2 平安初期の仏教
- 平安初期の仏教は、真言宗をはじめとする修行型の仏教に変わる。
- 仏像・曼荼羅など呪術的方法によって、「仏」になる仏教を「密教」といい、天台宗も密教へ転向し国家とが独立した体制になる。
- 密教は、天台宗系の台密と真言宗系の東密の2つができた。
- 従来の顕経型の仏教に比べ、平安初期の仏教は、加持祈祷を行うなど、貴族の現世利益・病気平癒・国家安泰・立身出世などに支持を得た。
- 天台宗の僧・源信による『往生要集』(臨終の手引き書のようなもの)が表された。
- 『往生要集』は、後の浄土宗の葬儀に影響を与えた。
3.2.3 平安中期〜末期の仏教
- 初期の密教から、中期~末期は「浄土教」・「修験道」に変わった。
- 社会不安が高まるにつれ即身成仏のような現世での成仏や救いを諦め、
- 来世に極楽に往生して成仏する浄土思想が普及した。
- 民衆にも仏教が広まった。
3.2.4 仏教の影響による平安時代の死生観の変化
『往生要集』の死生観の特徴は、輪廻転生の概念の浸透にある。
苦しみ多い現世を、輪廻の一 つの世界であることを読者に認識させ、往生しない限り、こうした苦しみが永久に続くことを迫っ ている。
しかしながら、『往生要集』の輪廻転生の概念は、仏教の原点であるインド思想のそれ とは違いがあるように思われる。
インド思想では、輪廻転生から逃れる唯一の方法は、解脱である。
しかし、『往生要集』では、浄土への往生で解決されることになる。浄土での研鑽によって 解脱に至るという究極の目的が、強調されていない。
インド思想では、「六道」などの世界にお いても、生きていくことは苦である。
死や来世での再死だけでなく、生までも苦とするインド思 想において、解脱に至らなければ安楽は得られない。
一方、日本の死生観では、極楽での往生が 最終目的となる。ここに、日本人の生に対する楽観があるように思われる。
辻本臣哉, 人間学研究論集, 2015, 人間学研究論集.
3.2.4.1 死生観の変化に影響を与えたこと
- 輪廻転生が浸透される。
- 現世の苦しみは来世に極楽往生して成仏する浄土思想が広まった。
- 『往生要集』による死・葬儀の手引き書が著された。
- 輪廻転生による「業」と「地獄」がより明らかにされた。
- 民衆を含め仏教が一般的なものになってきた。
- 貴族など一部で火葬が始まった。
- 大密と東密による密教が現れた。
3.2.4.2 平安時代の死生観
平安期には死とは穢れたものと、忌み嫌われていた。
しかし、保元の乱以降になると、死というものが避けることができないものとなった。
死に対する悲しみ苦しみ怖れを当然持ちながらも、明日の命も保証されないという、死に直面して生活する時、今だけが頼りである。
今だけを生きた中世の人びとは、刹那主義や享楽主義に陥るということもなく、宗教的色彩の強い死生観にたよった。
清水徳蔵, 『日中の死生観比較考 ー異文化への日中の対応比較ー』, 1998,
3.3 鎌倉時代
鎌倉時代は、天変地異(災害)や疫病が多く発生し、社会不安が広がった時代であった。
天台宗や真言宗は、貴族の病気平癒・国家安泰などの祈祷を行うも、このような状況を変えることができず、大寺院は拡大を図ることに躍起になり、仏教が腐敗堕落により衰退していくことになる。
平安時代からの天台宗や真言宗は鎮護国家、貴族のための仏教であり、民衆のための仏教とはほど遠い存在であった。
3.3.1 鎌倉六宗
そんな中、鎌倉六宗という新たに以下の六つの宗派が誕生した。この時代に六宗が誕生した背景は、冒頭に述べたとおり、天変地異や疫病が多く発生し、貴族だけでなく、武家や農民にも多大なる影響を
与えていたことが背景にあると思う。
そして、国家の為の仏教ではなく、庶民のための仏教を広めるために、庶民でも簡単にできる易行を中心とした宗派が誕生した。
宗派 | 開宗 | 開祖 | 特徴 | 修行 |
浄土宗 | 1175年 | 法然 | 南無阿弥陀仏を唱える | 他力本願 |
臨済宗 | 1191年 | 栄西 | 法嗣を重んじる。 | 自力信仰 |
浄土真宗 | 1224年 | 親鸞 | 悪人正機説 | 他力本願 |
曹洞宗 | 1227年 | 道元 | 只管打座 | 自力信仰 |
日蓮宗 | 1253年 | 日蓮 | 南無妙法蓮華経と唱える法華経 | 題目 |
時宗 | 1274年 | 一遍 | 踊り念仏 | 他力本願 |
3.3.2 鎌倉時代に急速に庶民にも仏教が広まった
仏教が民衆にも拡大された理由は主に以下の三つがあると思う。
- 平安時代までの仏教は、鎮護国家・貴族のための仏教であり、民衆救済のための仏教ではなかった。そして、鎌倉時代に入ると武家の力が強まったこともあって武家から民衆救済の声が上がったことも仏教が
民衆に広まった理由の一つであると思う。
- 曹洞宗や臨済宗以外は、易行であるため難しい法門などを覚えなくてもよく、念仏や題目を唱えるだけで救われると言うこと。
- 武家の有力者が信仰したことにより、地域の庶民へ広がったこと。
3.3.3 鎌倉時代の死生観
法然になると、古来、日本人が死にざまこそが死後の運命を決定すると考えた死生観を根底からくつがえした。
清水徳蔵, 『日中の死生観比較考 ー異文化への日中の対応比較ー』, 1998,
4 参考文献
丸山久美子, 『死生観の心理学的考察』, 2004,聖学院大学論叢.
辻本臣哉, 『人間学研究論集』, 2015, 人間学研究論集.
上田賢治, 『日本神話に見る生と死』, 東洋学術研究, 通巻115号(27巻2号).
井上克人, 『日本人の他界観』, 実存思想協会, 1998, 実存思想協会.
清水徳蔵, 『日中の死生観比較考 ー異文化への日中の対応比較ー』, 1998,
竹田恒泰,(2017), 『現代語 古事記』, 学研プラス.
次田真幸,(1998), 『古事記(上) -全三巻-』, 講談社.
5 ホームページについて
このホームページは、うつ病の精神治療法を研究するための私自身のためのサイトです。私自身が覚えることが苦手、且つ、忘れっぽい性分なので備忘録として主に以下の内容のものを扱っています。どこにいてもこのホームページを閲覧することができるようにという目的でこのホームページを作りました。
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