【日本独特の死生観】仏教伝来以後(大正時代)
目次
1 大正時代
大正時代は、1912年〜1926年までの14年間。
以下は大正時代の主な出来事。
1912年 | 明治天皇崩御 |
1914年〜1918年 | 第一次世界大戦 |
1918年 | 大正デモクラシー |
1923年 | 関東大震災 |
1925年 | 治安維持法 |
1925年 | 大正天皇崩御 |
1.1 評価
松尾尊兌の著書の大正時代史関係の書物では、子どもの「明治から大正になって何が変わったのか」の質問に対して成人男性が「教育が普及していきわたり、都市に住む人が増加して、
都市化で住民の都市問題が誕生して、和食や和服から洋食や洋服となり、政治に関心がある国民が増加して民本主義思想や社会運動が活発となった」としている。
『平成日本の原景大正時代を訪ねてみた』を執筆した皿木喜久が、書物の内容で紹介する山本夏彦のエッセー集では「大正デモクラシーをひと口で言うと『猫なで声』と答える」とした。
恋愛が謳歌されて、儒教と断絶して、挨拶の口上が言えなくなり、新聞の社説が文語文から口語文となった。
のびのびとした大正ロマン文化が花開き、大正自由教育運動などの教育や大正期新興美術運動など芸術で自由な考え方や自由を尊重する試みが行われた。
大正時代は日本史上の他の政治制度より一番ましな民本主義(戦後の民主主義の基礎)が誕生して、欠陥があったが戦後日本の政治思想の基本となっている。
近代国家を建設する制度のデモクラシーが、社会主義思想や平和主義思想と解釈されて、天皇制(天皇・皇室制度)など日本の伝統を否定する考え方と混同されたのが、大正時代であった。
引用:Wikipedia 大正時代の評価
1.2 平均寿命・死亡率・出生率
日本人の平均寿命を時代ごとに見ると、 奈良時代や平安時代の平均寿命年齢がおよそ30歳 であったのに対して、鎌倉時代に入ると災害や疫病の影響により平均寿命年齢は24歳となる。
室町時代では平均寿命年齢は15歳 となり極端に寿命が短くなった。これは、 _天候による食物の不作・一揆・戦国時代が長期に渡ったことが大きな影響を及ぼしている。
そして、明治時代に入ると平均寿命が44歳となり、大正時代には43歳となった。これは、第一次世界大戦や関東大震災による影響、スペイン風邪やインフルエンザの流行などが原因と思われる。
また、乳児の死亡率が際立って高いこともこの時代の特徴と言える。
引用:厚生労働省 人口動態統計100年の年次推移
社会実情データ図鑑
(グラフ:平均寿命の歴史的推移)より引用.
(大正時代の人口がおよそ3,480万人〜4,613万人).
1.3 災害
大正時代に起きた国内の主な地震被害
名称 年月日 マグニチュード 特徴 関東大震災 1923年9月1日 7.9 死者・行方不明者 約 105,000 人
1.4 戦争
1914年〜1918年に第一次世界大戦があった。
日本における第一次世界大戦の戦死者数は415人とされている[67]。1924年に公表されたアメリカ合衆国旧陸軍省の資料では、日本の戦死者数は300人と報告している。
しかし、マイケル・クロッドフェルターは公式の戦死者は300人であると報告し、「全ての死因を考慮に入れた日本軍の全戦死者に関してより信頼できる数は1344人である。」と言及している。
引用:第一次世界大戦の犠牲者
1.5 大正時代の仏教
1.5.1 出来事
1.5.1.1 寺院数
大正11年の文部省宗教局による『文部省宗教制度調査資料第18輯』によれば、当時の寺院数はおよそ60,000。
但し、詳細に宗派別に内訳を見てみると、その数に乖離が生じているが、68,000〜73,000程度の寺院があった。
寺院数 | 68,812 |
信徒数 | 12,408,870 |
宗派 | 寺院数 |
天台宗 | 15,302 |
真言宗 | 11,268 |
真言律宗 | 58 |
律宗 | 21 |
浄土宗 | 6,875 |
浄土真宗 | 19,302 |
臨済宗 | 102 |
曹洞宗 | 13,885 |
黃檗宗 | 477 |
日蓮宗 | 4,826 |
融通念仏宗 | 358 |
時宗 | 470 |
法相宗 | 22 |
法華宗 | 10 |
計 | 72,955 |
1.5.1.2 檀家数による仏教地域分類図 (大正11年)
引用:小田匡保,日本における仏教諸宗派の分布 ―仏教地域区分図作成の試み―,駒沢地理, No.39 PP37~58, 2003,Komazawa Geography.
この結果, 図6のように, 檀家数から検討すると, 東北地方は全県禅系となり, 九州地方は すべて浄土系で覆われる。
四国も半分が浄土系となる。 沖縄県を除き, 西日本では非浄土系が 4県しかなく, 本稿で作成した地域分類図の中では, 西日本への浄土系の浸透が最もよく表れ ている地図と言える。
引用:小田匡保,日本における仏教諸宗派の分布 ―仏教地域区分図作成の試み―,駒沢地理, No.39 PP37~58, 2003,Komazawa Geography.
1.5.1.3 神道
神道十三派 の教会数と信徒数は下表のとおり。
教団 | 教会数 | 信徒数 |
天理教 | 3944 | 2,643,042 |
金光教 | 673 | 549,114 |
禊教 | 30 | 62,263 |
神理教 | 189 | 1,210,158 |
神道大教 | 333 | 1,499,989 |
御嶽教 | 410 | 149,135 |
神習教 | 160 | 80,396 |
神道大成教 | 90 | 90,532 |
実行教 | 96 | 91,692 |
扶桑教 | 206 | 205,170 |
出雲大社教 | 135 | 1,409,965 |
神道修成教 | 251 | 42,465 |
黒住教 | 409 | 676,711 |
計 | 6,926 | 8,710,632 |
1.6 火葬
大正時代の火葬率は、43%程度。多くはまだ土葬であった。
特徴として、1915年(大正4年)、北海道・新潟・富山・石川・福井・東京・大阪・広島の各県では火葬率が60%であった。
東京を除く関東・東北では火葬率は20%未満であった。
このことは、上述の「檀家数による仏教地域分類図 (大正11年)」分布図が示す、西日本地域では浄土系が多く、東日本では非浄土系を示しているものと関連があるのではないか?
1.7 大正時代の食生活
この時代の食生活は、米・野菜・芋類・雑穀・魚介類などが中心。
洋食文化が日本に明治期に入ってきて一般庶民に広まったが、肉食は珍しい食べ物であった。
引用:社会実情データ図鑑 食生活の変化
1.8 大正時代の生活
- 第一次世界大戦後の日本の景気は、どん底状態になり景気後退。
- 関東大震災による被災を受けて、近代化が進む。
- 西洋思想の影響を受け、西洋建築が盛んにになる。
- 明治時代に登場したライスカレー・豚カツ・コロッケなどが一般庶民にも広まる。
- 出生率が高かった。
- スペイン風邪やインフルエンザが流行した。
- 社会主義思想や共産主義思想が流行った。
2 死生観の変化に影響を与えたこと
- 第一次世界大戦
- 関東大震災
- スペイン風邪・インフルエンザの流行
- 国家神道
- 近代化
- 火葬の広まり
- 食生活の変化
- 葬式仏教による寺への依存
b.それ以前(明治維新から戦前)の価値観― 国家神道、廃仏毀釈、富 国強兵によって江戸時代の価値をすっかり捨てさり、近代化路線を取って きた。
敗戦でそれらがまたしてもすべて崩壊する。国家神道のせいで、古 来からの神道の精神も、本居宣長ともども雲散霧消する。
引用:熊沢一衛, 2008,現代日本人の死生観の形成 ―仏教の役割と提言―,龍谷大学.
3 大正時代の死生観
一度戦争になれば,武士道の精神が生じ集団自決や神風特攻隊など外国人には決して考えられない死生観の世界が展開される。
明治時代になって鎖国が解かれ,西洋文明が多々日本 の国内に流れ込んだが,本質的には先祖代々の死生観は嗣子孫孫に浸透し五臓六腑に滲み透っている(寺田,1953,山折,1995)。
生死のことは自分で考えると言う一見突き放した自己規制を要求 する精神のドラマは現在の日本人の潜在意識となって日常生活の中に習慣として残存しているよう に思われる。
上記の死生観を総括すると,そこには存外,生に執着しない淡々とした生き方が滲み出ている事に気づく。
日本人は「桜」の花を愛する。これは俗的に言えば,「ぱっと咲いて,ぱっ と散る」桜の花が日本人固有の生活,習慣,文化価値観を表している良い例である。
古代神道でも武士道でもない日本人固有の特徴であり,行動傾向,或いは心情である。「何物にも執着してはならない。
従って又喜んで全てを与え,全てを惜しみなく捨てよ」という「捨て身」の技に徹することが美徳なのである。
丸山久美子, 死生観の心理学的考察, 2004,聖学院大学論叢.
4 参考文献
丸山久美子, 死生観の心理学的考察, 2004,聖学院大学論叢.
辻本臣哉, 人間学研究論集, 2015, 人間学研究論集.
上田賢治, 日本神話に見る生と死, 東洋学術研究, 通巻115号(27巻2号).
井上克人, 日本人の他界観, 実存思想協会, 1998, 実存思想協会.
清水徳蔵, 日中の死生観比較考 ー異文化への日中の対応比較ー』, 1998,
竹村牧男, 日本人の宗教生活と仏教, 2015, 『国際井上円了研究』3(2015):133–144.
熊沢一衛, 現代日本人の死生観の形成 ―仏教の役割と提言―,2008,龍谷大学.
岸英司,日本人の死生観 -その宗教意識から-,頭頸部腫瘍 21(3)489-492,1995,
竹田恒泰,(2017), 『現代語 古事記』, 学研プラス.
次田真幸,(1998), 『古事記(上) -全三巻-』, 講談社.
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